茨城県古河市 真言宗豊山派 徳星寺のご案内。

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真言宗豊山派 徳星寺
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ご案内

徳星寺の正式名称は、龍見山リュウケンザン舎那院シャナイン極楽坊ゴクラクボウ徳星寺トクショウジと申しまして、宗派は真言宗豊山派です。

 

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徳星寺 本堂

 

 

徳星寺の歴史について

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本堂

 創建は建治元年(1275年)、源頼政の家臣・猪早太の曾孫にあたる徳星丸が16歳のとき願主となり、古河城内の龍崎(立崎)において創建されました。開山は建治3年(1277年)、醍醐山良賢上人が下向して勅命により成就いたしました。徳星丸は、後に剃髪して満海上人となり、徳星寺第6世の住職に就任されました。山号は龍見山、徳星丸の祖母が高倉宮に奉仕して龍見殿と言われていたことに由来します。

本堂昭和6年

本堂(昭和6年)

 宝徳元年(1449年)、古河公方の足利成氏が古河城に移ってからは、城主の祈願所となりました。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の古河城破却令により、足利義氏公の娘・氏姫が市内鴻巣の古河公方館へ移ると徳星寺も一緒に鴻巣へ移転しました。現在も鴻巣には「徳星寺山」・「徳星寺前」・「徳星寺下」という地名(小字名)が残されています。寛文2年(1662年)、土井利重公(3代)が古河城主の時に現在の地に移りました。境内には、利重公建立の千手観音堂があり、縁日である毎月17日に御開帳しております。

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鬼瓦

 昔は鐘楼堂や弁財天の社や池がありましたが、明和の頃、鍛冶町の大火の際にその灰で埋めたとされています。
徳星寺は格式が高く、田舎本寺として24ヶ寺の末寺を持ち、その中の長老が代々の住職に就任していたそうです。
末寺の中で現在も存続している寺院は、神宮寺(古河市横山町)、金蔵院(古河市下辺見)、長谷寺(古河市長谷町)、桜源寺(小山市下生井)があります。その他の末寺は、明治維新の廃仏毀釈で本寺合併となり、廃寺になりました。

 

 

当時の写真

徳星寺上棟式

徳星寺上棟式(昭和26年5月)

 

太師堂

太師堂

 

客殿上棟式

客殿上棟式

 

 

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