まわりの力
平成11年1月1日
昨年十月に前住職が亡くなった。その一ヶ月後、豊山派管長猊下をお迎えして大きなお葬式が行われた。この一ヶ月間は、たくさんの人が動いてくれた。自坊の者だけで出来たのではない。たくさんの人の力によって出来たものだ。私は何をしたのだろうか?何もしていないような気がする。私だけ時が止まっていて、周りの人の働きが感じ取れる感覚だった。その時の私は、「まわりの力」というものに気づくことが出来た。一つのものを動かすのには一人では出来ない。多くの人の助けによって出来るのだと思った。
このことはすべてのことに言えるのではないだろうか?種だけがあっても花は咲かない。土や水、太陽などまわりの縁によって花を咲かすことが出来るのだ。決して一人で出来るものなどない。だから、人は謙虚にならなければならないのだ。自信過剰になると、自分は偉いとか、自分は出来る、何でも一人でやってきたなどと思うだろう。また反対に自信喪失になると、自分はダメだ、自分は何もできないと思うだろう。これらの考えは、自分が自分がと言って自分しか見えなくなっている。自分しか見えなくなっていると「苦」しか生まれないものだ。
インターネット上で自殺のホームページが多いという。そして、自殺願望者に毒薬を売った事件があった。読売新聞に自殺も遊び感覚化が進んでるのでは、と言う記事があった。彼らは、生きているのだか死んでいるのだか実感が湧かないのだろうか?いやいや、ただ彼らは自分しか見えなくなっているのだろう。彼らだけではない、日本人のほとんどがそうではないだろうか?我が前に出て自分がかわいくって仕方ない。でも、もっと大きな広い目で見てみると、私たちはあらゆるまわりの縁によって生かされてることに気づくはずだ。
祐 海 合 掌